駄菓子屋「よこた」のおばあちゃん


これは開運日記というわけではないのですが・・・・私の子供の頃、昭和時代の思い出話です。


私は子供の頃、浅草から徒歩10分程度にある駒形という町に住んでしました。
ちゃきちゃきの下町です。

家の近所には何件か駄菓子屋さんがありました。
両親は共働きで、一人っ子で鍵っ子の私は、学校から帰ってくると駄菓子屋さんに行くのが楽しみのひとつでした。

何件もある駄菓子屋のうち、特にお気に入りだったのは「よこた」というお店で、おばあちゃんが一人でやっていました。
「よこた」は、家と家の狭い隙間を奥に入った突き当たりにありました。

お店に入ると、駄菓子屋独特の匂いがわくわく感を高めます。

そこの「よこた」のおばあちゃんは子供好きで優しいおばあちゃんでした。
雰囲気はちび丸子ちゃんのおばあちゃんを細くしたような感じで、言葉は下町ということもあり丁寧ではありませんが、愛情がにじみ出ている感じ・・・・。

悪がき?な男の子が、万引きしようとするのを見つけた時「お金がなかったらはっきり言えばいい!」「そしたらあげるから!」「悪いことだけはしちゃいけないよ!」と叱っているのを何度か見た記憶があります。

全くお金儲けを考えていなかったからか、家計が苦しかったようで、おばあちゃんは内職の造花作りをしながら駄菓子屋をやっていることもありましたが、それでも幸せそうでした。

店内には駄菓子の他に四~五畳位の小さなお座敷があり、そこでもんじゃを焼いて食べる鉄板が2台くらいあった記憶が・・・・

私はしょっちゅうそこで、もんじゃを焼いて食べてました。中身の具は素朴だったのですがとてもおいしいのです。

私も周りの子供達もみんな「よこた」のおばあちゃんが大好きでした。

近所には「○らい」とう別のお駄菓子屋がありました。そこのおばちゃんはいつも不機嫌で、子供が嫌いなのかいつも怒っている印象がありました。でも大人と一緒に買いに行くと、おばちゃんは満面の笑みを浮かべとても良い人に大変身するのです(笑)。
私は子供ながらにすごく不思議で仕方ありませんでした。(子供は奥が読めませんものね。)

そして、私がその駒形から引っ越して・・・・月日は流れ、15~16年経ったある日、ある雑誌に「よこた」のおばあちゃんが大きく取り上げられていました。その記事で知ったことがあります。

実は、今現在「もんじゃ」は全国に幅広く伝わっていて、お店も数え切れないほどあるとおもいますが、一番最初に「もんじゃ」を考えだしたのは、「よこた」のおばあちゃんだったそうです。

時は遡り戦時中(戦後だったかな?)、食べ物が底をついてしまい、ほんの少し残っている粉に水をたくさん入れて溶いて焼いたのがもんじゃの始まりだったそうです。
子供の頃はそのようなエピソードは全く知りませんでしたし、当時は都内でも、もんじゃを知らない人はたくさんいたのです。
「もんじゃ」今は誰でも知っていますよね???

そして、おばあちゃん談に「当時、少年や少女だった子達が大人になり自分の子供を店に連れてきてくれることが多々あり、それが一番の喜びなんですよ」と締めくくられていたと思います。
やっぱり、たくさんの人に慕われていたのね~(^^)

この雑誌掲載から更に年月は流れに流れ、今は平成21年・・・・
しかし、人情味溢れる「よこた」のおばあちゃんの笑顔は今でも私の心の奥に残っています。

何十年の時を経てもなお心に残る思い出を作ってくれた「よこた」のおばあちゃんって、素晴らしい人格者だったのではないでしょうか?

子供時代を振り返ってみて、今改めて、「良き思い出をありがとう」という気持ちでいっぱいです。



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